Jaroslav Heyrovský
ヤロスラフ・
ヘイロフスキー

ヤロスラフ・ヘイロフスキー(1890年~1967年)は、プラハのカレル大学の物理化学教授でした。彼は、1922年に滴下水銀電極(DME)を用いた電気分解に関する研究を発表し、1925年には、日本の共同研究者である志方益三と共に、DME電極を用いて直流電圧依存性を記録する、ポーラログラフィーと呼ばれる装置を製作しました。彼は、「ポーラログラフィーの発見と発展」により、1959年にノーベル賞を受賞しました。

ヤロスラフ・ヘイロフスキー 写真提供NTM

ポーラログラフィー

ポーラログラフィーは、溶液中の化合物の定量分析と定性分析を同時に可能にする分析方法です。ポーラログラフ装置は、未知の還元性物または酸化性物質の存在および濃度の電気化学分析に用いられる装置です。一般的に、ポーラログラフィーとは、電解液中に浸漬された2組の電極(指示薬と参照物)間で電位を規則的に変化させる技術です。その結果として生じる分極曲線は「波」を示します。この波の高さは溶解した物質の濃度を表し、波の位置は分析される物質の種類を示します。

最初のポーラログラフ装置は、ヤロスラフ・ヘイロフスキー教授によって1924年に、日本人学生志方益三と協力して考案されました。これは、物理研究所の工作室で技術メトジェイ・イネマン(Metoděj Ineman)とフランチシェク・ペターク(František Peták)が作った5つの装置の1つです。V・ネイエドリー(V. Nejedlý)がJ・ネイエドリー(J. Nejedlý)最初の電気推進モデルを設計した1929年までは、ポーラログラフユニットとして存在したのはこの5つだけでした。 写真提供:NTM

ポーラログラフィー発見によるノーベル賞

1959年にヤロスラフ・ヘイロフスキー教授に授与されたノーベル賞のメダル。表側にはアルフレッド・ノーベルの肖像画が描かれています。女神イシスを連想させる女性の像が裏側に描かれています。彼女は雲から姿を現し、右手に豊饒の角を持っています。その傍らに立つ「科学の天才」は、彼女の顔からベールを持ち上げています。 写真提供:科学アカデミー(MÚA)

Švédský král Gustav Adolf VI. předává 10. prosince 1959 ve Stockholmu J. Heyrovskému Nobelovu cenu za objev a vývoj polarografické metody.
スウェーデングスタフ・アドルフ6世は、1959年12月10日にストックホルムで、ポーラログラフィーの発見と発展を称えてJ・ヘイロフスキーにノーベル賞を授与しました。 写真提供:科学アカデミー(MÚA)
Diplom laureáta Nobelovy ceny
ノーベル賞の賞状 写真提供:科学アカデミー(MÚA)
Telegram ze Stockholmu s oznámením o udělení Nobelovy ceny.
ノーベル賞受賞を知らせるストックホルムからの電報 写真提供:科学アカデミー(MÚA)
Jaroslav Heyrovský provádí výkop při fotbalovém zápase mezi Ústavem fyzikální chemie a Spektroskopickým ústavem UK, 1936; NTM
1936年、カレル大学の物理化学研究所と分光学研究所とのサッカーの試合を開始するヤロスラフ・ヘイロフスキー 写真提供:NTM
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ヤロスラフ・ヘイロフスキー(左から3番目)‐プラハ・レトナー地区の少年サッカーチーム 写真提供:NTM
Jaroslav Heyrovský (třetí zleva) na vojně, K.u.K. Reserve-Spital, Tábor, 1915
兵役中、軍事病院であるK.u.K予備病院にいるヤロスラフ・ヘイロフスキー(左から3番目)、ターボル、1915年 写真提供:NTM

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